Essay
2022.12.24
石川県で出会えた好奇心
「好奇心」から生まれる発見って、なんであんなに湧き上がってくるものがあるんだろう。
日本で唯一石川県に残っている塩の作り方、揚げ浜式塩田というものがある。調べるとクールポコさんみたいな写真が出てくる。お餅をついているわけではなく、水を撒いている写真だけど、その勢いと桶と直向きさがそう見えた。
「へぇ〜そんな伝統技術があるんだなぁ」とのんきに携帯を眺めながら車に揺られててふわっと顔を上げてみると、なんとその姿がいきなり目の前に現れた。「奥能登絶景街道」なんて素敵なネーミングの海沿いにクールポコ、いや職人さんたちがいた。お揃いの格好をした人たちが砂をかき集めている光景だった。
私は思わず「あー!これこれこれ!」と車中で興奮した。よんなな撮影チームの2人も横目でその光景を見て、「お!よし、寄ろう!」と通じてくれた。何とも嬉しい瞬間だった。
一応撮影の許可を取ろうと、店内に入って女性に声をかけた。説明をしている間から、話を聞いてくれる姿勢がとてもキラキラしていた。
「是非です!体験もできますし、塩ができるまでのお話もしますよ」
「あの砂からどうやって塩ができるのかほんとに気になります」
「やっぱり気になりますよね〜いや〜面白く話してくれる人が今日いなくて、その人そういう話をするのが大好きな人だから会ってほしかったです」
と。本当にお会いしたかったけど、この日説明してくださった方もとても親切に楽しく話してくれた。私が一番感激したことは、500年前と今と唯一変わったのは、海から海水を持ってくる手法だけということ。昔は海から直接桶に入れて肩に担いで運んでいた海水を、今は「文明の力」を使って、海からポンプで海水を持ってきていると言う。
「え、それ以外は何も変わっていないんですか!?」と咄嗟に聞いた。
「他は変わってないんです。すべて手作業なんです」
今まで能登の塩を何の気なしに買っていたけど、作り手の方の顔や言葉を知らなかった。やはり目の前にあるもの一つ一つにとても長い歴史と、信じがたい技術と手間があることを知り、「より一層大切に」とかどこかで言ったことあるようなことじゃなく、好奇心の「目」がふぁぁっと広がった気がした。そもそもの好奇心がなかったら、この話を聞けた時間も出会いもなく街道を走り去っていた。「知らない」「感じない」というのは、儚くその道を過ぎ去れるものなんだなとも思った。
こうして、ただの「景色」だけではない「奥能登絶景街道」を堪能できた。車窓から好奇心の目で見ていると、どうしても見逃せない「絶景」に出会えたりする。そんな時は予定を変更して、途中下車するのもいい。付き合ってくれて、一緒に楽しんでくれる仲間がいることにも感謝した。いつまでもそんな「目」を持って、広げていけたらいいな。
この街道を教えてくれたのは、最後に寄り添わせてもらった岩城慶太郎さんだった。岩城さんと出会ったのは東京で、その時はまだ珠洲市に移住されていなかった。「移住する」という大事な決断は絶大な好奇心が溢れ出た結果でもあると岩城さんを見て感じていた。東京出身の岩城さんが教えてくれる珠洲市の魅力は現地の方と違っていて、珠洲で生まれ育ってたら見落としがちなものだった。私も自分の地元の魅力は他県の方の方がイキイキ話してくれた記憶がある。
岩城さんは、珠洲市が人口急速減少でいつかなくなると言われてても、それでもとめどない可能性と未来があると珠洲にいる誰よりも信じていて、その実現に向けて本気で楽しんで考えてるエネルギッシュな方。そんな岩城さんのおかげで珠洲市を知れて、奥能登に生きる素敵な方たちに出会えた。
よんななを始めて第一弾一県目の石川県、初めてのことでちょっと時間がかかってしまったけど、今後の都道府県に繋がる大切な時間になった。これにてよんなな石川県編は終了だけど、俳優業でまた来年も石川県に関わらせていただくという不思議なご縁が続いてるのも有難く、こうして人と人とが繋がっていくことに関わり続けたいと改めて思わされたよんなな石川県編だった。
寄り添わせてもらった奥能登で出会えた皆様、大野長一郎さん、足袋抜豪さん、番匠さとみさん、川高あゆみさん、岩城慶太郎さん、改めてありがとうございました。おかげさまでよんななにとってとても大事な一歩になり、今後の糧になりました。また再会する日まで、どうかお元気で。