Essay
2022.10.27
海女さんに甘えて
海女さん。私の中では非常にハードルの高い職業、だった。長い時間息を止めて、自力で沈んで、漁をするなんて、同じ人間のできることなのか。私は水に耳をつけるのも怖いし、耳抜きも難ありで、自力で沈むこともできないため、余計に難しいことだと感じていた。石川県で番匠さとみさんに会うまでは。
番匠さんは初めてお会いした時から何かが開いていた。それは様々な経験を経ての「潔さ」と言っていいのかもしれない。LINEでやり取りしている感じは、絵文字をよく使いカラフルで私より年下なのかなとすら感じていた。「若い」とかいう単純なことじゃなく、海女さん1年目でこれからたくさん経験してみたいっていう意欲を感じる姿勢から、勝手にそう思ったのかもしれない。実際にお会いして話してみると、全く違った。意欲がただあるんじゃなく、ちゃんと「難しい」を知っている人だった。
「暗いところを潜るなんて怖い」
「深くまで潜るなんてできない」
「息もそんなに止めてられない」
番匠さんから出てくる言葉は、私を透き通った能登の海にひょいっと浮かせてくれるような軽い心地にさせてくれた。もちろんそれで「私にもできそう」なんてことは思えない。水に耳をつけるのはやっぱり怖い。ただ、私の中で勝手に大きくしていたハードルを、少しずつ耳を近づけられそうな低さまで下げてくれた。それだけでもやってみようとトライする勇気が湧いてくる。番匠さんは一人で潜れるようになって、溺れても誰もいないと思うと怖かったし、浮き輪から離れるのも怖いくらい海が怖かったと言う。私はてっきり最初から「怖がらない」人だと思っていたため、怖いことをちゃんと怖がる番匠さんに一気に親近感が芽生えていた。
「こんな海女さんもいる」ということを知ってもらいたいと思った。元々潜るのが好きで慣れている人ばかりじゃないし、「難しい」を知りながらも、それ以上に「楽しい」を知っている人は周りを元気にしてくれる。番匠さんの笑顔に私が元気になっていた。海が大好きだから毎朝楽しく潜り、大漁の日には喜び、漁師さんとたわいもない話をする姿が目に浮かぶ。早く見たい。撮りたい。一緒に潜りたい。
スキューバダイビングのライセンスを取って、海に潜ったことがあるという理由で、有難いことに私が一緒に潜らせていただき、海中の番匠さんを撮影することになった。果たして、成立するのか。海は大好きだけどちゃんと怖いと思っている私は、その不安が完全には拭えなかった。ただ、番匠さんの口から聞けた「難しい」を知れただけでも、嬉しかった。そう。嬉しかったんだ私。一緒に潜ることが不安から楽しみには変わっていた。呼び名もいつの間にか「ばんさん」「えっちゃん」に変わっていた。「難しい」を共感し合えると距離もぎゅんっと縮まるのか、今まで呼ばれたことのない呼び名が決まり、呼ばれるたびに私は密かにずっと心ほぐされていた。
その日の天候で潜れるかが決まるらしい。番さんは朝起きて、風や波の音で潜れるかの天気がわかると言う。目覚めてすぐに波の音が聞こえるなんて海の近くで育った私には羨ましい環境だった。当日の朝、「潜れそう!」と連絡があった。台風の影響もあり、前日まで全くわからない状況だった。久しぶりの海。果たして潜れるのか私。装備しながらも不安だったけど、浅瀬で少し入ったらあまりの海の綺麗さにそんなことはどうでもよくなった。この気持ちよさに身を任せようと沖に向かったら、写真用のカメラを浜に忘れて海に入っていた。番さんの後ろを夢中についていったため、気がづいた時には監督もカメラマンも砂浜で豆粒になっていた。もう潔く映像を撮ることに集中するしかないと心に決めて泳いだ。
目の前で初めて見る海女漁。番さんが潜っている間に、私は意気揚々とシュノーケルで10呼吸くらいしている。海女になりたての番さんは、それでも息が続かない方だと言う。私はビビって潜らずに、シュノーケルで呼吸しながら上から番さんを撮影していた。撮影を任されたんだしと、いつまでも浮き輪にしがみつかず、そろそろ潜ろうと息を止めて番さんについていってみる。
「あ、潜れた!」と喜んだのも束の間、私はどうやら息を吐いてから息を止めていたらしい。そのまま顔を上げて、口からシュノーケルを外して思いっきり息を吸った。シュノーケルの使いこなせなさに呆れてる時間はない。海女の番さんは潜り続ける。次はちゃんと吸ってから息を止めて、番さんを追っかける。そしてシュノーケルから息を吐いて呼吸する。なんだいけるじゃん。少し余裕が出てきたのも束の間、台風後の海で少し波があり、顔をつけた状態のシュノーケルに容赦なく海水が入ってきた。案の定、むせる。番さんが心配してくれて、シュノーケルが苦手なこと、海が最初から得意ではない者同士の理解がさらに深まり、えっちゃんは海水を飲みながらも心底安心できていた。
今回一緒に潜れたことで、「海女さん」というのは、息を止めてサザエを探し、合間にゴミも拾って、人間の一つの体を命懸けで最大限に使う職業だと思った。私は途中でそのことに圧倒されたのと、慣れぬ素潜りと撮影に完全にバテていた。番さんと同じく海が好きだから最高に楽しいのに、体はいつだって正直すぎて情けなかった。
浜に戻るまでも「寄り道してしまうんだよね」と言いながらサザエを獲り続ける番さんの姿と、初めて潜る日本海の神秘的な光景、台風明けの太陽の光が差し込む海の煌びやかさを眺め、その魅力のおかげで浜に戻る頃には少しだけ海と仲良くなれた気がする。潜る海女さんがきらきら輝いて見えるほど、奥能登の海は澄んでいた。いや、違うな。潜る番さんがきらきらしているから、奥能登の海がより澄んで光ってるように私には見えたのかもしれない。