Essay
2021.10.01
さいはての銭湯にて
人生で初めて水風呂に浸かることができた。サウナ後のあの感覚に出会い、撮影2日目も同じ銭湯へ行けることにワクワクしていた。
ここは石川県の最先端に位置する珠洲(すず)市内の「海浜あみだ湯」という銭湯。広すぎず狭すぎもしない店内には聴き慣れた歌謡曲が流れている。番台のお母さんに「ただいま」と言いたくなるような、県外の人間も馴染みやすい空気が漂っていた。フロントや脱衣所だけでなく、お風呂場にも歌謡曲が流れている。浴室にシャワーはなく蛇口のみのタイプで、洗面器にお湯を溜めて体を流す。そして誰も入っていない大浴場へ。足先がきゅっとなる熱めのお湯、浸かるまで少し時間がかかりそう。
そこに2人の子供を連れた女性が入ってきた。久しぶりに浴室で男の子を見るなぁなんて、子供の頃に弟と入っていたことをふと思い出す。妹らしき女の子が熱そうに足だけ浴槽に入れて立っている。「あつい」と口パクで伝えてくれたので、「熱いね」と口パクで返した。私も女の子と同じ体勢で立っていた。私もしっかり熱かった。
お兄ちゃんが妹の両肩を持ってお湯に浸らせようとしたら、「あついっ!」と妹は眉間に皺を寄せたが、その光景に頬が緩んでいた私の顔を見てすぐニコニコに戻った。それからも私の顔を見てずっとニコニコしてくれる。前日の一人銭湯とは違った癒しに、とめどなくほぐれた。少し誇らしげに肩まで浸かっていたお兄ちゃんが、「こうやったら入れるよ」って両手でお湯を体にかけながら慣れる方法を私に教えてくれた。「ほんとだー!」と感激すると、妹もがんばって真似をする。やっと私も妹も肩まで浸かれて、「きもちいいね〜」と言い合った。近くで見ながら髪を洗っていたお母さんと目が合って「すみません」と思わず恐縮した。
お兄ちゃんに「(あみだ湯に)よく来るの?」と聞いたら、
兄「土日だけ珠洲に来るからその時に入りに来てる。月曜から金曜は金沢に住んでて、土日だけ珠洲に来る。今度珠洲に引っ越すの」
私「いつ引っ越すの?」
兄「んー7月かなぁ。鍛えられるよ体」
私「どういうこと?」
兄「いっぱい運ぶから」
私「あ、引っ越し手伝うんだ」
兄「うん!」
妹「私もお掃除するの」
荷物を運ぶことはできないけど、自分のやれることをすでにわかっている健気な姿が頼もしかった。私は長女だけど、何かを「手伝う」ことにこんな風にワクワクできてたかなぁ。
私「何才?」
兄「7才。小学校2年生」
私「じゃあ、お友達と離れちゃうんだね」
兄「うん。でもね珠洲が好きだから楽しみ」
私「何才?」
妹「3才」
兄「4才だよ」
妹「さんさいっ!」と指はしっかり3本だった。まだ3才のままでいたいのかもしれないし、ただ3の指が好きなのかもしれない。でも何かしらのこだわりがあるんだろうなと感じるくらい鋭めの語気だった。
私「珠洲のどういうところが好き?」
兄「虫がいっぱいいるところ、虫大好き。釣りもできるし、魚もいっぱい」
「そうだよね〜」と感心していたら、お母さんが浸かりにきて、子供たちは「バイバイ!また戻ってくるからね」と言って、別風呂へ入りに行った。「また戻ってくる」ってなんて和みワードだろ。お湯の熱さがやっと馴染んだ体にさらに癒しが沁み渡った。
お母さんに珠洲への引っ越しの話を聞いてみた。
私「お仕事の事情ですか?」
母「主人の仕事はどこでもできる仕事なので、子供のことを考えて珠洲に引っ越すことにしたんです」
環境を考えたら、色々整っている珠洲市に魅力を感じたと。空港も近いし、羽田まで行ったら海外にも行けるからほんとに便利だと教えてくれた。なるほど。海外に行くにはまず羽田まで行かねばならないのかと一瞬よぎったけど、私も珠洲に夢中なため思考よりも会話が止まらなかった。
私「なんで珠洲なんですか?」
母「家族で珠洲によく遊びには来たことがあって、高齢の方もすごく元気で、珠洲にいる人たちみんな楽しそうで、取り組みもすごく面白いところだなと思って」
私も場所と人に魅力を感じてノンフィクション映像制作で珠洲に来ていることを伝えると、会ってほしい人や面白い取り組みを教えてくれた。薄々感じてはいたけど、さいはてに集まる人はアンテナが敏感で広くて、行動力が抜群な気がする。移住した方やUターンした方の話を聞くたび、そう感じることがよくある。お母さんは終始目をくりんとさせて、少し身を乗り出しながら嬉しそうに話してくれた。2メートルあけたこの会話は、お湯の温度とも相まって、ずっと話したいと思えるほど心地よかった。そのため、浸かるのに時間がかかった最初の熱さをすっかり忘れていた。そろそろ上がろうとすると、私の顔を見たお母さんが「あ、ごめんなさい長く話してしまって」と言った。私の顔がよっぽど茹で蛸のようだったのかもしれない。「とんでもないです。ありがとうございました」と言って、ぬるめのお湯に浸かりに行った。
そこにあの兄妹が入ってきた。「なにこの色〜」「いい匂いするよハーブかなぁ」「ほんとだーいいにおいー」と一緒にワイワイしていたら、お母さんが「すみませんつきまとって」と言ってきたが、「いえいえ。たのしいです」と即答した。お世辞でもなくほんとに楽しかった。でももう帰る時間だったみたい。「えー」と言いながら、「バイバイまた来るからね」と言って兄妹は出て行った。ずっと振り返ってバイバイしてくれた。銭湯でこんな出会いもあるんだなぁと、一人になった浴槽で十二分にあったまっていた。私も見えなくなるまで振り返ってバイバイするタイプだけど、それをされるとすごく愛おしい光景だし、この兄妹のおかげで自分もずっとやり続けたいと改めて思わされた。しばらくして外を見たら、着替え終わってすっきりしている女の子らしき姿がこちらを見ているように見えたけど、今手を振ったらさすがにきもちわるいかなと思って控えた。でもそれくらいね、嬉しいコミュニケーションだったんだと思う。
これを書いている車内には、さっきからずっとぷーんぷーんと虫が飛んでいる。でも銭湯でのことを忘れたくない気持ちが濃くて、手で振り払わず頭を振りながら書いている。夜だから車の窓をでっかい虫の歩く音がたくさん聞こえていても、お構いなしに何かに夢中になれる町が珠洲だとも思えた。まだずっとぷーんぷーん飛んでいる。虫が好きと言っていたあのお兄ちゃんを思い出しながら書いている。あの年齢で「ここが好き」と思える場所に移り住めるというのは、とても豊かな経験に思えた。子供の時の住む場所なんて選べるなんて発想もないし、好き嫌いの前に「与えられた場所」って感覚が大きくて、その中での「好き」をなんとなく探していた気がする。お湯で体を熱らせながら、キラキラした目で「好きな珠洲」を教えてくれたお兄ちゃん。私が7歳の時に、自分の住んでいる場所や他の場所の「好き」をあんな風に話せてたかなぁと思う。珠洲に引っ越しているだろう今も、たまにはあの銭湯に行ってるのかな?私は緊急事態宣言が出てからは行けていない。今どうしてるだろうとふと気にしたくなる家族との出会いを、さいはての銭湯にて。